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実は結構個性的だった? わが母校 [学問・研究]

 私の母校のうち、高校、大学(+院)は個性的であることを売りにするようなところだった。だが中学校は、ごく普通にあるような公立中。教育不熱心な親に恵まれた(笑)おかげで中学受験の苦労とは無縁、また私立に行かなかったために「鶏口牛後」状態ではあったが。

 別に決定的に嫌な思い出はないから「自分が3年間学んだ学校」としての愛着ぐらいはあるけれども、特別なものは何もない、どこにでもあるような学校の一つだと思っていた。当時でも近辺で珍しい「男子丸刈り」の校則が皮肉にもわが校の特徴だったかもしれないが(私が卒業して数年後に廃止。ただ髪型や服装での自己主張に全然興味が無かった当時の―今だってそんなに変わらないが―私にはそんなに苦痛ではなかった)。

 けれども思い返してみると、実はかなり個性的な教育も行なわれていたのか、と感じられてきた。少なくとも一部の教科、一部の先生では。通り一遍等の授業も多かったが。

 美術では製作する作品のコンセプトについて一種「哲学的に」考えさせるようなこともたびたびだったし、創作に先立って素材について「木とは」「土とは」「紙とは」を一緒に考えるような機会も多かった。定期試験も「木で物を作ることはどういうことか」というような、大学の試験のような論述問題が毎回だったことを思い出す。

 3年生のときの国語の先生(かつ担任)の授業も、「この小説を映画化した場合の宣伝文を書く」「主人公になったつもりでこの事件の起こった日の日記を書いてみる」など、いろいろと作品世界の理解を深める独創的な企画があった。教室も凄く盛り上がっていた。名古屋市内ながら進学熱の強くない、片田舎的な学校だからこそできたのかもしれないが、体験としては今も印象深い。国語が好きな科目になったのはそれ以降だと思う。私にとってその先生は小学校から高校までではいちばんの「思い出の先生」(『ウルトラマンメビウス』第41話サブタイトルより)だ。
  「1年の計は元旦にあり、新しい1年がどんな年になるかは、年が変わるそのときに、何をしていたかで決まる」というその先生の教えは、私は今なお実践しているぐらいだ。

 2年の夏休みには「進路」にまつわるグループ研究というのがあって、私の前年の「いろいろな高校を自分たちの足で調べてくる」企画は地方のTVニュースでも取り上げられたぐらいだから、結構画期的なものだったのだろう。私の学年ではいろいろな職業について、実際に働いている人たちにインタビューして仕事内容やなり方などを調べてくるものだった(我々はかなり手を抜いて「先生」にして、出身小学校に行って聞いたが)。これも実は時代を先取りしていたのかもしれない。
 転校経験がない私としては当然一校しか直接は知らず、同時期の他の学校がどうだったのかはわからない。本当に独自なのかどうかは知らない。けれども意外と出来た体験は貴重なものだったのかもしれないと、ふと思い返しもした。
 今は、どんな校風になっているかは全く知らないのだが。

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