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日本倫理学会 [学問・研究]

金曜日から、慶応大で開かれた日本倫理学会に参加するため東京へ。
 今回は二仕事。一つは、金曜夜に開かれるワークショップ「初等・中等教育における倫理学の貢献可能性」のパネリストの一人として報告すること。もう一つは、当然ながら自分自身の発表だ。
 前者のほうは、私がここ数年委員を務めている国際哲学オリンピック(IPO)=世界各国の高校生による哲学的思索のコンテストの見地から提言するのが、主催の者から求められたことだ。
 なにぶん、数学オリンピックとか化学オリンピックの哲学版とはいっても、なにぶんまだ知名度も限られた催しであって、こういう活動が存在することを、もっと社会的に広く認知されるようにするのが現実には第一の課題なのだが、今回は理想的な可能性という見地から、IPOの意義について話した。哲学は本来誰にもかかわる問題であって、思春期の時期ともなれば「自分とはなんだろうか」とか「本当に正しいものは何なのだろうか」といったことは、一度や二度深く考えることがあっても不思議はない。であれば、そうした哲学的な問いの「受け皿」、「挑戦の場」として機能しえないか、というのが一つの見解だ。もとより世田谷区の中学校での哲学教育の実践や、「子どものための哲学(p4c)」の日本への導入など、初等・中等教育段階での哲学教育は、日本でも静かな胎動として起こりつつある。そのムーブメントの一翼を担うものとして意義あるものだ。
 他のパネリストで、現場の若手高校教員の方から、高学力とはいえない高校での「倫理」教育の実践について報告があった。「脳死・臓器移植」や「地球温暖化」「小児病棟」「アフリカの子どもたち」などの具体的なテーマを精選し、映像資料を活用した実践によって、生徒たちに倫理的な問題を考えさせていくアプローチは、私としてもたいへん感銘を受けた。特に、口頭で意見を言わせてもなかなか乗ってこない生徒たちに対して、紙上に匿名で意見を書かせ、それをシャッフルして別の生徒にコメントを書かせる「サイレント・ディベート」という手法はすばらしいものだと思った。
 ただそこで気になったこととして、プラトンのイデアとかカントの定言命法といった事柄は「倫理」で扱っても生徒たちには通じない、という話があったこと。現実的に考えればその通りだろうし、だからこそ、より具体的で身近に感じられるテーマをもとに授業をされているのだと思う。その反面、そうした倫理的なテーマと、専門的に研究され、深められている倫理学・哲学とが、結果的に大きく乖離している状態なのは、何かが足りない、とも感じさせられた。前の日記で触れたことで言えば、「広義の哲学」と「狭義の哲学」との乖離である。
 私自身、IPOの審査員としての経験から、特に欧州の高校生たちが自分の考えを深め、表現するためのツールとして「存在論」とか「善の欠如としての悪」「シンボル的動物」といった言葉を使いこなしているのを見てきている。日本の漫画が大好きだったり、休み時間には日本の高校生ともども「世界共通語」としてのサッカーで盛り上がったりする、ごく普通に見える高校生が、だ。それだけに、より物事を深く考え、また深まった考えを表現するためのよすがとして、(狭義の)哲学のことばが使えないものか、とは考えさせられるのだ。私の報国のなかで使った「知的資源としての哲学」という見地だ。この見方は相応に反響は得られたようなので、「広義の哲学」と「狭義の哲学」との接点を、いろいろな方面から探っていくことは今後とも望まれると思う。

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コメント 2

ReeeeYNA

こんにちは。貴林先生、お久しぶりです。
この間一度コメントをさせていただいたReeeeYNAです。
このたびもブログを読ませていただいています^^
最近すごく思うのですが、どうして日本の中学校に哲学の授業とはないのでしょうか??道徳の授業というのも、小学校までですね。アメリカの中学高校では哲学という授業はしっかりあり、生徒は基本的な哲学を頭に入れています。
日本にも、哲学の授業を取り入れたら、日本人はきっともっと広いし思想を持ち、そして今問題となっている生命の大切さを知らない若者の解決にも少しつながると思うのですが。。。
将来、日本の教育にも哲学を入れてほしいと願っているものです。。。
by ReeeeYNA (2010-11-04 19:52) 

ayashi

ReeeeYNAさん

 コメントありがとうございます。
 しばらくこちらのブログを放置気味にしておりまして、お返事が遅れたことをお詫びします。
 私自身も、大学に入るまで学校では「哲学」を学べなかったことは残念でした。もともと哲学的に思考するのは子どものころから好きだったものですから、その考えを進め、表現できる場が学校に無かったというのは、今も心残りです。
 もっと生きていることの意味や、何が本当に正しいかといった問題について、根本的に考える機会は日本の子どもたち、若者たちにも提供していく必要がある、と私自身実感しています。
 最近では、日本の学校教育に「哲学」を導入しようという動きも、少しずつ起こってきています。なかなか既存の教科の枠組みが強く、それを大きく変革するのは難しい状況ですが、世田谷区が特区になって哲学教育を実践したり、あるいは「出前授業」的な方法で実践したり、などの動きがあります。先週末、これを主題としたシンポジウムにも出席してきました。
 その動きのひとつとして、私が委員を務める国際哲学オリンピックというのもあります。「数学オリンピック」「化学オリンピック」の哲学版とも言うべき、高校生による哲学的思考のコンクールです。
 これについて、近日中に紹介する記事を書きたいと思っています。
by ayashi (2010-12-01 12:46) 

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