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ベイスターズ売却交渉破談に触れてふと [学問・研究]

 決裂に終わったTBSと住生活グループとの横浜球団売却交渉。
 その原因については一般に報道されている情報だけでは一概に判断できないだろう。だが赤字を出し続けて球団の保持が困難になったために売却先を求めたTBSが、にもかかわらず本拠地や経営陣などについて、あれほどの条件を一方的に突きつければまとまる話も壊れてしまうだろうというのは、素人目にも推測できる。
 私自身はベイスターズファンではないこともあり、構想にあったという新潟移転の話は、「地方分権・地域密着」の流れに沿うものとして球界全体には望ましいものではないか、と思っていた。かつての首都圏と近畿圏にほとんどの球団が集中していた時代と比べても、名古屋、広島だけでなく福岡、札幌、仙台と、各地域の中心都市にプロ野球チームが置かれるようになったのはいいことだし、その流れにさらに続くものだから(首都圏とはいえ、千葉のロッテも地域密着で成功した例だろう)。
 とはいえ、各種のWEBでの書き込みを見ても、当の横浜ベイスターズのファンの人たちにとっては、さすがに複雑なようだ。自分たちの応援してきた球団がこれほどの危機にあるというのだから。
 さしあたり来季も横浜にとどまることは確定したようだが、だからといって単純にファンが喜べる上今日ではないことも明らかだ。球団事情がこうでは選手にチームへの愛着が生まれようはずがない。主力選手のFA流出は決定的だろうし、ドラフトで指名されても入団を拒否する選手も出てきかねない。ただでさえ三年連続最下位のチームがこれでは、楽天イーグルスの創設初年度に劣るとも勝らない(誤字にあらず)成績になっても不思議はない。しかも、「今は弱くても新しい球団を立ち上げ、強くしていこう」という希望に満ちていた楽天とはわけが違う。気の毒にも思えてくる。
 さてここで気になることだが、仮の話で球団売却が成立し、新潟あるいは静岡など、他地域に移転することが決定したとしたら、それでもチームを応援し続けるか、ということが、ファンの間で意見が分かれていることだ。移転すれば「横浜」は当然消えるし、新潟に湾はないから、「ベイスターズ」を名乗ることもないだろう。自分たちの地域(あるいは出身地)を離れ、名前もまったく変わってしまったチームに、なおファンでいつづけるかどうか、ということだ。
 これは、何ゆえにある球団のファンになったのか(ファンでいるのか)という問題である。
 これはプロ野球に限らず、サッカーなどにも言えることだが、あるチームのファンになるのには、大きく分けて二つの動機が考えられる。

①自分の地域(あるいは出身地)のチームだから
②そのチームの特色(強さ、プレイスタイル、あるいは在籍する選手や監督)が好きだから

 もちろん、これは理念型的な区分であって、実際には両動機が混ざっていることもある。
 私はずっと中日ドラゴンズのファンであるわけだが、それは何より、今は離れて久しいが、名古屋で18年間生まれ育ったからだ。名古屋在住時に在籍していた選手は山本昌ただ一人(むしろ今も現役なのが凄いが)、チームカラーもナゴヤ球場時代の「強竜打線」の攻撃型野球からナゴドでの守りの野球のチームへと一変しているが、だからといってファンをやめたことは一度もない。つまり、完全に①に該当する。
 その昔、関東出身だが「星野監督が好きで中日ファン」という人に会ったことがある。つまり②だ。彼女がその後阪神ファンになったのか、これから楽天を応援することになるのかはわからない。
 大げさに言えば、①は、自分が置かれた社会・歴史的条件による結果。②は自由主義的な選択の結果である。「倫理」の問題ではもちろんないが、実は今をときめくM. サンデルがハーバード講義で取り上げたテーマに通じるものだ。コミュニティとの絆か、それとも自由意志による選択か、ということだから。
 そして、多くのプロ野球チームのファンにとって、特にファイターズ、イーグルス、マリーンズ、ドラゴンズ、カープ、ホークス(東から順に並べた)のファンにとっては、①の要因が圧倒的に大きいことだろう。タイガースファンの場合は全国的にいるから、関西在住・出身という①の要因以外でファンになった人も少なくないはずだが。ベイスターズの場合、最近の観客数の少なさでもわかるように、この点が微妙なのが問題だったのだろう。
 ①だからこそ、たとえ選手や監督がどんどん入れ替わっても、プレイスタイルが変わっても、そしてたとえ弱くなっても、肩入れの程度は変わるにせよ応援しつづけるのだ。そのチームの独自の特徴が好きで応援しているのなら、ひいきの選手が退団したり、プレイスタイルが変わったりすればファンをやめるかもしれない。
 それだけ、生まれ育ったコミュニティの影響力が大きいということでもある。この問題については、「負荷なき自己」など考えられない、というわけだ。
 しかし仮に、そのチームが売却され、他地域に移転することになったらどうだろうか。それでも、そのチームを応援し続けるだろうか。それが、まさにベイスターズで起こりえた問題だった。
 実はこれは、「事物の同一性」の問題である。
 経営母体も名称もフランチャイズ地域も変わったとして、そのチームが同じ球団なのか、ということだ。
 これは客観的に決めることは困難だが、ファンの目からして、同じ球団として応援しつづけられるかどうか、ということだ。ファンがその新球団を「同じチーム」として認めるかどうか、ということだ。「同一性」を認識するかどうか、と言い換えることができる。
 例えば私の場合、まずありえない話だが中日ドラゴンズが売却され、名古屋とは別地域に移転することになった場合、なおファンを続けるか、ということだ。
 私は続けるだろう。それは、以前応援しつづけていたチームを引き継いでいるから、いってみれば時間的な「連続性」があるからだ。
 実際、今でも大阪の南海沿線には、南海時代からのホークスファンがまだたくさんいると聞く。あるいは、そのホークスが進出した福岡での当初の最大の障害は、西鉄時代からのライオンズファンの多さだったという。これは、地域が変わっても歴史的なつながりがあるからこそ、同じチームと認めて応援を続ける、ということだ。概念的に言えば、「同一性を認める」ということだ。
 だがこうした連続性はあくまで、ファンから見た主観的なものだ。当然、同じチームとは認めない人も出てくる。実際、新潟移転が実現したならファンをやめる、という横浜ファンの書き込みも、多く目にする。もはや以前の横浜ベイスターズとは本質的に違ったものになっている、ということだ。
 物事の同一性というのが、まさに「構築されたもの」ということが、こういった事例から見えてくる。
 職業病というべきか、こんな考察までやってしまうのだが、こういう身近な話題からも哲学的な論題は探りだせる。そんな実例とでも思ってほしい。

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