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Long Long Ago, 21st Century [学問・研究]

 久々に、大学での講義の話でも書こう。
 今年の教育人間学の特殊講義は、久々に受講者が30人強(登録者ではなく平均的な出席者)と多く集まってくれた。やはりある程度人数が多いほうが、採点は大変だが、やるだけの意義は大きい。常に学生参加型の課題を出す私の講義スタイルからすれば、それだけ意見の多様性も増す。
 今回のテーマは「時間」について。
 さまざまな時間のイメージ化のありかた。直線と円環、上向きと下向き。また、時間についての哲学思想的な見地―客観的な時間からベルクソンの純粋持続、ハイデガーの「存在の意味としての時間」、ホワイトヘッドの「プロセス」の考え方まで。
 さまざまな時間の見方を紹介し、常識的な「時計の時間」とは別の観点から時間をとらえ、生きてみるような姿勢を促す、というアプローチ。
 さらに示唆したのが、「履歴」「物の時間的な厚み」という視点。インスピレーション源としては桑子敏雄氏の『環境の哲学』のなかにある「空間の履歴」の思想があるが、この見地は個々のものにも応用できるのではないか、と考えてのことだ。
 消費社会のなかに生きるわれわれは、物を「消費」の時点でのみ接し、それがどのように作られ、どのように廃棄されるか、「どこからどこへ」ということが視野に入らないことが多い。これは環境の時代にあっては望ましい姿勢ではない。
 「一粒の米には、八十八の苦労がある」という古くからの知恵にあるように、物を「時間的な厚み」「履歴」をもったものとして見直してみたらどうか。そういう見地から、具体的になにかものを挙げて、その「時間的な厚み」を考えてみる課題をひとつ出す。
 そして、もう一つの課題。アメリカ先住民・イロクォイ族の「あらゆることを7世代後まで考えて決める」という知恵をもとに、7世代先、200年後の未来から、この時代を振り返ってみる、という課題だ。
 21世紀が昔々となった時代から、ということで、Long Long Ago, 21st Centuryと名づけて。
 というか、要するにこの題名は、わが一押し特撮作品『仮面ライダーBLACK』のED曲 “Long Long Ago, 20th Century” へのオマージュだ。
 受講者の1人がちゃんと気づいてくれたようだ。
 ともあれ、200年も先、この時代はどのように特徴づけられるだろうか。
 そのときまで人類が無事存続し、それなりの繁栄を続けているなら、今の時代は、「エネルギー浪費の時代」と特徴づけられるだろう。石油がこの時代まで使い続けられるとは思えない。おそらく今世紀中にはこのままなら枯渇する。そして今年は、原子力依存から大きく舵を切った年としても歴史に刻まれ、7世代後の歴史書にも記録されているかもしれない。
 もとより今の文明システム全体が持続可能ではないのだから、そのままの形で7世代後まで存続しているはずもないのだ。
 いろいろと興味深い学生からの記述もあったのだが、それはまたの機会があれば、ということでこの辺で。

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